目次
清水卯三郎 維新の激動が生んだ活動的な商人最初の歯科材料商
伊澤道盛 口中医から出て西洋歯科医術を修めた人
渡邊良齋 法印から出て黎明期の歯科界に足跡を残した人
桐村克巳 小幡英之助の門下
小幡英之助 最初に西洋歯科医術を身につけた誠実の人
高山紀齋 米国帰りのはじめての歯科医師
林讓治 パーキンスの門下
井野春毅 蘭方医から転じて歯科医師になった人
西村輔三 通訳から転じて歯科医師になった人
伊澤信平 医学と歯科医学を修めて新しい流れをつくった人
黒田虎太郎 パーキンスの通訳から歯科医師になった人
直村善五郎 はじめて小学校児童の歯科検診をした人
高木五三郎 小幡英之助門下、北海道の歯科を拓いた人
一井正典 米国で開業したのち帰国した最初の人
遠藤爲吉 江戸時代からの歯抜師の脱皮に力を尽くした人
藤原市太郎 大阪の地に歯科教育の地盤を築いた人
堀内徹 ヘボンに開眼された敬虔なクリスチャン、京都の歯科界のルーツ
榎本積一 歯科界黎明期の日本聯合歯科医会長
石原久 東京帝大医学部歯科の創始者
中原市五郎 強い個性をもった日本歯科医専の創設者
朝比奈藤太郎 外国修業歯科医師免許第1号
高橋直太郎 伊沢信平門下から東大医学部歯科外来に
四方文吉 山陰の地に歯科界を誕生させ啓蒙活動に力をそそいだ人
守屋賢吾 滞米30年後に帰国し歯科材料示説行脚の元祖となる
血脇守之助 28年間の日本歯科医師会長
大久保濳龍 女子歯科医学教育の基礎を築いた人
高橋コウ 済生学舎に学んだ日本最初の婦人歯科医師
緒方六治 緒方洪庵三男の養子となり大阪歯科界を振興した人
小林富次郎 口腔衛生キャンペーンを支えた人
廣瀬武郎 若いころ労働運動に加わった社会歯科学の先達
中尾清太郎 フレッチシャリズムを紹介し『よはひ草』を書いた博覧強記の人
石塚三郎 新潟の地に歯科の幹を築いた最初の歯科病院長
國永正臣 九州に歯科医学教育の礎を築いた人
島峰徹 異端の正統派、東京高等歯科医学校の創始者
佐藤運雄 医歯一元論の立場から歯科教育に力をそそいだ人
喜多見行正 在野のアクティブな臨床家、社会歯科学の先駆者
奥村鶴吉 血脇守之助の維幄の人、30年間のナンバー2
赤尾酔仙 風韻雅墨にして反骨在野の人
花澤鼎 こつこつと臨床歯科病理を積み上げた人
川上爲次郎 法螺為と異名をとったマルチタレント
寺木定芳 アングルに学んだ洒脱の自由人
緑川宗作 口腔衛生キャンペーンを奔り抜けた人
北村一郎 器用な異端の頑固者、最古参の国立大学講師
遠藤至六郎 自学自習で口腔外科を築いた人
川合渉 和製ジョンソンと異名をとった佐藤運雄の補佐役
榎本美彦 誠実な臨床家、矯正歯科の道を開いた人
荒木紀男 人工陶歯の国産化に道を拓いた人
岡田満 大学医学部歯科の最初の教授となった巨漢
杉山元治郎 クリスチャニティに導かれて労働運動に挺身し衆議院副議長にもなった人
三内多喜治 アングルとうまの合った変わり種の陸軍軍医少将
入交直重 瀟洒な立志伝中の人
山田順策 ピンセットを持たなかった歯科医師会長、そして静岡市長
北村宗一 検定出身の東大医学部の医学博士、歯科界の大久保彦左衛門
長尾優 歯科医学教育一筋に東京医科歯科大学を守った、守成の人
S.S.White社
幕末・維新ごろの歯科医師像
横浜に建てられた西洋歯科医学勉学の地の碑
1840-1884年までの米国の歯科医学校
歯みがき訓練方式
フレッチャリズムの10か条
『THE DENTAL BEE』と原玄了
準歯と徳島の名物男大塚熊太郎
東京電気局療養所歯科部
倫高会と松原勉
付録 歯記列伝人物/生歿年表
人名索引