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2025年3月号掲載

地域を支える歯科医師会の存在

※本記事は、「新聞クイント 2025年3月号」より抜粋して掲載。

 2013年、私は大学医局から出向し13年勤務した都内の総合病院で、上層部から受けた一言「お前の代わりなど東京だけで1万人はいる」に失望していた。わが子たちはまだ3歳と1歳、狭小アパートで妻は日々育児に奮闘していた。退勤後の夜は大学での研究、土日祝日は早朝に職場の病棟回診後、パート診療をかけもち、年中ほぼ無休で必死に働いていた。

 一方で職場の先生方(私以外は全員医師)は、単に華やかな学歴・職歴だけではなく皆心優しい人徳者だった。実は失意に沈んでいた直後、先生方が上層部に「歯科医師ならだれでもいいことなどない」と直訴され、私は異動を免れていた事実を知った。そこで「二度と心配をかけぬよう唯一無二の知識と技術を身に付けていつか経営責任者になる」と決意した。

 2022年、その病院歯科口腔外科外来は病院建替え工事開始を契機に廃止され、同時に私は妻の故郷である長野へ移住し開業した。その際、歯科医師会の先生方には温かい歓迎と現在に至るまで公私とも多くのご支援をいただき、新天地で無事に根を張ることができている。歯科医師会の存在の大きさを身をもって感じ、私もその一員として会務運営にかかわらせていただいている。また、退職後も見守り続けてくれた前職の先生方とは、学会での共同発表も昨年実現している。

 巳は医療・治療・再生のシンボルとされ、巳年はこれまでの努力や願いが実を結ぶとされる。新たな苦境の出現は夢への出発と解釈し、年男として微力ながら地域の歯科医療に貢献してまいりたい。